発表会近づく
連休明けには年に1度の教室の発表会を開催します。今は曲の仕上げ、プログラムや、「演奏者からのメッセージ」小冊子のお渡し、当日の舞台段取りなど、出演者にフォーカスした作業ですが、今から当日までは、お招きする方、事後の飲み会など演奏以外のことを想定しなければならない。成人した生徒と飲み会、立派になったかつての教え子の演奏会に出向く、など、考えてもいなかったことが回を重ねると起きてきます。
発表会を見ればお教室がわかる、などと言われており、確かに隠しようのない実態が露わになる場でもある、一体他人から自分の発表会はどう映るのか、恐ろしい。それでも小さい子がたった一人で舞台に立ち、思わぬアクシデントも何とか自分で解決し、笑顔で降りてくる様子は何といっても感動的ですし、本人にとって大きな成長の機会でしょう。最後は出演して良かったという気持ちで帰途についてほしいものです。
自分のころと比べ、ピアノという習い事は細く長く教わるものとなっている気がする。おうちの方との関係も、発表会は、今後とも自分がお世話になる大切な近所の方たちへのご挨拶という感覚。それは、私のような教室の場合、コンペ入賞とか音大合格、までいかなくても将来人前で弾ける程度には、もしかしたらアルバイトで教えるかも、などという打算、は言い過ぎですが、ではなく純粋に楽しいから習う、中には成長発達や情操教育に良いから、という理由の生徒さんばかりだからかもしれません。その結果、(コンペ入賞指導などのご苦労は全く分かりませんが)楽しく習うとはどういうことなのか、おうちの人が弾く環境を整えて下さるためにこちらがすべきこととは何なのか、等々別の意味で、これでも人知れず悩むことも多いのです。
このような悩みに対して、私の所属しているライティング研究会を主宰されている山本美芽先生は、ある投稿で、「相談相手や勉強仲間もなく、暗い先生の所に集まる生徒がいるわけもなく、それらへ対する努力をした上で悩みなさい」のような趣旨を回答されており、全くその通り。様々な課題を私は相談できるパートナーの先生がおり、Twitter、Facebook、インスタを情報や心の支えとし、ピアノを教わる先生もおり、でもそれらを総動員しても悩むのですが、とにかくご縁のあった方たちが、「ここの教室で良かった」と思って下さるよう、皆さんを背中に背負っているつもり(実は背中を押してもらっているのかも)。今年も楽しい発表会にしたいです。